宿の居心地がComfortableなので、延泊します。
ハバロフスクの街は、静かでFeeling goodです。
ビザの問題がなければ、プチ移住したいです。
午後、市内を観光しました(地図はこれが役に立ちました→)。
宿のスタッフにバスの乗り方を尋ねたら、チェチェン共和国出身のマホメッドおじさんが、バス停まで車を出してくれました。
親切なマホメッドが運転しながらナニを喋くっていたのか一言もわかりませんでしたが、彼のおもてなしの心遣いは五臓六腑に染み渡りました。
マホメッドの車を降りて、バスに乗り換え。
バスはハバロフスク駅前で降りるつもりでしたが、運転手と車掌さんが何かしら慮った助言をくれたようだったので、完全に意味不明でしたが、これもまた運命かと思い、ひとつ先のバス停で降りました。
駅が遠くなりました。
アムール並木通りを南へ散歩し、中央市場へ。
中央市場は、綺麗です。魚介類はほとんど冷凍なのが残念です。
英語教師のクリスティーナが言うには、極東で穫れた魚介類は一度モスクワへ運ばれ、プラスティックのように冷凍されたものが、シベリアに戻ってくるそうです。
もちろんその間の無駄な送料が加わり、モスクワより高額になります。
レーニン像。対日戦勝70周年記念の横断幕。日本に勝ったくらいで、そんなに喜ばなくてもいいじゃん。
赤の広場の次に広いという、レーニン広場。写真は広角レンズを使ったので広そうに見えますが、実はけっこう小さいです。広場の名前は、ニコライ広場→自由広場→スターリン広場→レーニン広場と変わっています。
ロシアで花が咲くものか、と思わなくはないのですが、広場は花だらけです。
二色のブロックで組み上げた建物が、いい感じです。
ウスペンスキー大聖堂。スターリン時代に破壊され、ソ連崩壊後に再建。
表参道みたいにお洒落なムラヴィヨフ・アムールスキー通りをアイスクリームを食べながら、南下。
精一杯きどった娘さん、精一杯お肉をつけた奥さん連中が、大股で闊歩しています。
太ももが立派です。
オベリスク。
アムール川。中国語では黒龍江。全長は世界8位。2005年に中国の石油化学工場が爆発して、ベンゼン化合物で汚染されています。上流に中国って、辛いね。
軍服を着た兵士が、戦車を見て行きなよとフェンスを開けて入れてくれました。 若い兵士が古い戦車を洗車中。 なんで俺が掃除なんかしなきゃならんのだよ的な顔をした兵士に遠慮して、写真撮影できず。
栄光広場のスパゾ・プレオブラジェンスキー大聖堂。高さ70メートル。これ見よがしの金の屋根は、富の象徴なのか、信頼度の高さなのか、集めた寄付金の額なのか。
第二次世界大戦の戦没者の慰霊碑に囲まれた「永遠の炎」。決して消してはならぬ決心です。
「1941-1945」と彫られているモニュメント。無骨に角ばったところがソ連らしさを感じさせますが、日本では通じぬセンスです。
ハバロフスク州出身の兵士の名が刻まれた、大理石の慰霊碑。東京オリンピックの諸経費を、このようにモニュメントに刻んでほしい。新国立競技場の建築費を、釘の一本まで、都民の面の皮に刻みたい。
ウスリー並木通りをとぼとぼと北上し、ほとほと歩き疲れました。
帰りに再び立ち寄った中央市場。 すじこを購入(100gで250ルーブル/446円)。 高いよね。
駅前から35番のバスに乗り、見覚えのある通りで降りて、58番のバスを探すが見つけられず。
3kmの道のりを歩いて帰る。
途中、強盗すら出ないような人気のない獣道。
posted by 44と書いてyoshiと読みます。
- 朝→ パン(30ルーブル/53円)、ジャム、ヨーグルト、梨
- 昼→ 外食:中央市場の食堂
- 夜→ 自炊:すじこと「タケルくん」で炊いたご飯